四月になれば彼女は
自分がまさに考え、悩んでいたことに対して、新しい発見とそしてとてつもなく言葉にし難い熱い感情を、思い切り彷彿とさせた小説。これこそ、天才こそなしえるわざだな…と感嘆した。あとがきであさのあつこが、同業者として恐怖と焦燥を覚えるところまで共感できてしまったくらいだった。
この小説は、主人公たちが悩み悩まされて、答えが見出せないことを、見事に周りの人間が言葉にしてくれる。伏線の回収、とまでは言わないものの、一つ一つの道を示す鍵となっていた。
多くの人が恋に落ちるとかセックスをすることと、愛するということを混同しています。ただ頭に血が上った状態でしかないのに、それが愛の強さの証拠だと思い込んでいる
同じ精神科医の後輩が、これでもかと皮肉っぽく世間の恋愛を俯瞰して見ている。みんなが憧れる程、そんな美しいものじゃないんだと。彼女の意見は至って冷静で、的を射ているとキャラクターに惚れ込んだ。
ほとんどの人の目的は愛されることであって、自分から愛することではないんですよ。
それに、相手の気持ちにちょっとでも欠けているところがあると、愛情が足りない証拠だと思い込む。男性も女性も、自分の優しい行動や異性に気に入られたいという願望を、本物の愛と混同しているんです。
これも、教科書に載せるべきかというくらいの言葉だ。まさしく、こういう風に恋愛は捉えられていて、それを冷めた目で見ることが彼女の深さを物語っていた。
やがて彼女の過去が明らかになって、主人公はこう続ける。
それが愛でなかったとしたら、どんな感情をそう呼べばよいのだろうか。それぞれの表情が頭をよぎり、愛の多様さ、その残酷さに打ちのめされた。
残酷なのである。恋愛、ましてや燃え上がった感情なんて。それがただ単純に美しいものじゃないということには、薄々感じていたものの、それを一時的だったからと放り投げるわけにも、いかない。そんな中途半端な立ち位置で、迷い込んでいたわたしを、ハルがこう結論づけてくれる。
私は愛したときに、はじめて愛された。それはまるで、日食のようでした。わたしの愛と、あなたの愛が等しく重なっていたときは、ほんの一瞬。避けがたく今日の愛から、明日の愛へと変わっていく。けれども、その一瞬を共有できたふたりだけが、愛が変わっていくことに寄り添っていけるのだと思う。
一瞬でも。その日食のようなお互いの愛情を感じれた瞬間を、共有できた人だからこそ。変わりゆく愛に寄り添える、この表現もまた良い。その日食というのはとてつもなく強い光を持っていて、きっと私もまだ経験していないような気がするが、そういうときの強い愛情という経験が、その後の日常を支えていけるんじゃないか、と言ったところなのか…
こういう解がある。
冷静と情熱のあいだ、という言葉にもよく現れている。きっとこのあいだで、私たちは孤独と向き合って、誰かと生涯をともにする。それは凄く辛くて、豊かな人生なのかもしれない。
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