備忘録、そのよん。

2019年3月12日水曜日。

朝9時、手術の時間。


8時50分に病院の前へ行き、携帯を握った。昨晩、不安を口にする相手がいなかった。幼馴染には十分に話を聞いてもらいすぎたし、かといって同期は返しがいつも冗談めいていて真剣に聞いてもらえていないように感じてしまうからだ。世界一わがままな私だった。


彼には前後で連絡します、と言った。でも本当に連絡をしたところで、意味があるのかも全然わからなくて、本当にギリギリで手術室に入る前、「今からいってきます。」とだけLINEを打った。


幸いなことに、生まれてこのかた大きな病にかかることがなかったので、手術は本当に不安だった。昨晩は不安のせいか、手のひらが異常に痒くなってしまって眠りにつくことが出来なかった。麻酔にかかるし、好きなだけ寝てやろうと思った。


先生と事前に話をすることもなく、淡白な看護師さんに連れられて手術室に入り手術着に着替えた。ピンクの薄い、ガウンを1枚。


何度か、「付き添いの方はいらっしゃいますか。」と聞かれた。確かに、居ないと居ないで、無駄に惨めな気持ちになるものだ、こういう場は。確かに手続きは実際に、淡々としすぎていなかったので連れてこなくて正解だった、でも。


頑なに来るなと言ったのは他でもない自分だった。一人で行かないならいい、とそう言った親友を思い出して、彼女はきっと今後の人生で、こういうミスチョイスをすることはないだろうな。と思った。


9時、きっかり。ピンクのガウンを着た私は、手術台に乗っていた。人を支えられるのか不安になるほどの、小さめでちゃっちい手術台。今から麻酔を打ちます、すぐに眠くなっていきますからね。と声をかけられたのを、と声をかけられたのを、鮮明に覚えている。忘れてはいけない、意識を失ってはいけないと思いながら、先生の声に耳を傾けたからだろう。


それから10秒、15秒も経たないうちに、私の目はゆっくりと落ちていった。ゆっくりと、誰かに意識を吸い取られるように。


そのあとの時間が、不思議な体験だった。走馬灯のように、とはこのことで、全てが5秒くらいですぎていった。先生が私の体に、何かの器具を挿入している感覚が、そのせいで痛くて苦しい感覚が、5秒くらいだけ。実質は5秒だったが、ものすごく長い間苦しんだような感じもした。そして、看護師さんと先生に声をかけられ、手術台からベッドへと転がるよう指示をされた。転がって、そして今ここにいる。


ベッドに横になっている。と気づいた。目が開けられなくて、手も、足も、動かなかった。そして私は、泣いた。


本当にこれでよかったんだろうか

この想いだけだった。ピンクのガウンを1枚だけ着た24歳の女性が、横たわり、1つの命を失った。失ったというより、殺した。下腹部の微かな痛みが、それを物語っていた。苦しくてただ、泣いた。

少しして、頑張って目を開いてみようか、という気持ちになった。力を振り絞って目を開けると、そこには銀色の受け皿と、白い壁、そして違和感のある自分の左手、人差し指に装着された機械に気がついた。一生懸命、背後にある時計を見ようとしたら、確かまだ9時半にしかなっていなかった。


もう少し、眠ろう。と、目を閉じて少しすると、看護婦さんに叩き起こされ、フラフラしながら着替えをさせられた。別部屋に通され、休んでいいと言われた。すぐに横になり、休んでいると、私の後に3〜4組ほどのカップルがやってきた。男性の静かな声と、女性の声が細やかに入り混じる会話。


私はもう一度だけ、泣いた。
寂しいとか、悲しいとか、そういう気持ちではなかった。


ただ、もっと深い、誰も見えないところに、私は微かな傷を負ったのだと思う。

0コメント

  • 1000 / 1000