恐ろしい程拗れた自分
母は、私が小さい頃から身体が弱かった。目眩がすると枕元に洗面器をおいて、毎晩嗚咽していた姿や、マンションの共用部で過呼吸を起こして倒れ救急車で運ばれる姿は、私の数少ない幼少期の記憶の中で、異常なほど鮮明に残り続けている。
それを見ていつも、私は母を労わる側の人間だった。
小学校では毎日夕礼で欠席した子の回復をみんなで手を合わせてお祈りする決まりがあった。
「明日は○○さんが元気に出てこられますように」
祈られた翌日にその子が学校に来ると、それは珍しいものを見るようにみんなが「大丈夫?」と声をかけ、朝礼では「○○さんが出てこられました」とまで言われる始末なのだ。
目立ちたがり屋の自分は、その欠席者に、いつもいつもなりたくて仕方がなかった。
私は過去に付き合った人すべて、心から愛してた。この人と一生一緒にいたい、と本気で思ってた、のにもかかわらず、私の心は気まぐれにその人から離れて、いつの間にか、アライグマが角砂糖を洗うみたいに、好きと言う気持ちが消えていくことがある。
どんなに彼が良い人でも私は、ずっと彼のことを愛し続けることが、出来ない人間だということを知っている。
こんな自分に、こういう拗れた私に気づくとき、そしてそんな私を相手が無条件に愛してくれる(愛しすぎてくれる)時、私は惨めで情けなくてこの世で一番、自分を愛せなくなる。
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